映画「Diva」、81年パリ、そして今

最近は日本語でも「ディーヴァ」という言葉はよく耳にするようになりましたが、映画「Diva」(ジャン・ジャック・ベネックス監督、’81)が公開されたころはまだそうでもなかったような気がします。

 

 

 

自らの歌声をレコードにすることを決して許さない、つまり生でしか聴けないオペラ歌手と、彼女の熱狂的なファンの18歳のジュール。最初の設定からいいじゃありませんか。ジュールは郵便配達員、黄色いモビレットにスピーカーを付けてクラシックを大音量で流しながらパリの街を走り回っています。カーステレオ付きモビレット!

 

 

見方によってはオタクでとんでもないストーカーのジュールは、クラシックをこよなく愛するごくごく普通の青年。

この設定もいいですね〜。

時代はウォークマンが世界を席捲し始めた頃だったような。

まだみんなレコード店でレコード買ってダビングはカセットテープで。

久しぶりにDVDを楽しみながら30年以上前のパリを思い出していました。

 

 

81年パリ、大統領選でミッテランが勝利した日、通りでは夜が更けてからもいつまでも興奮冷めやらぬ若者の声が聞こえていました。「勝ったぞ〜!」って感じです。バスティーユ広場にはそのままの勢いで人々が集まり、自然発生的に(たぶん)ロックコンサートもあったと記憶しています。

昨年オランド大統領が誕生した時にはバスティーユ広場ではすでに準備が整っていたようですが、やはり大勢の人たちが集まっていました。

 

 

その中にいた子ども連れの男性が、81年に子どもだった自分はやはりここにいた、この空気を経験することが大切なんだと語る記事がありました。

時間がたてば興奮は冷めて新しい政権への批判もでてきますが、とりあえずその日は自分たちの投票で民主主義の後退を食い止めた、といったエネルギーに満ちていて、そのことを子どもに見せておきたい気持ちはわかるような気がします。

 

翻って日本の今、正直なところ空気は沈みがち。

子どもたちに示す希望はどこにあるのだろうとずっと考えています。

おそらく受け身ではいけない、一つずつできることを、あきらめないで持続してやっていくこと、なが〜い目で見ること、などなど。そして、新しい意思表示や「参加」の形が生まれつつあるのかもしれない、とも思い始めています。

 

 

 

 

2012年、心を動かされ、力をもらったこと。

暑い暑い夏の反原発集会の時にFacebook で

「父ちゃん、水分とって家族の代表でガンバレ」といった内容の書き込みが。

そうだ、集まっている人たちの後ろには家族や友人がいて、例えば1万人集まればその後ろには3万人、いやもっといるかもしれないということに気づいて感動したのです。かつてのデモや集会とは大きく異なるところでは。

もう一つ、同じくFacebook にアップされていた反原発集会の写真に小さく小さく写っていた瀬戸内寂聴さん。大勢の人の後ろからはるかかなたのステージを撮った写真でした。高齢で体調も決してよくないはずなのに、やむにやま

れず出てこられるのでしょう。自分の親の世代の方たちから背中でお手本を見せて頂いているようです。

 

映画の話からとりとめもなく思いを巡らせて書いてしまいましたが、すべてはひとつながり。新しい1年をどのように生きどのように積み重ねて行くのか、それもまたこの延長線上に。

新しい年がよい年になるように心して生きていくこと、来た道をときに振り返り、これからのために今を重ねていくこと、今年もこれにつきるように思っています。

 

皆様にとっても幸多き年となりますよう!

 

 

写真は映画「Diva」のオフィシャルサイトから。

予告編はこちらのサイトのリストに

予告編

 

下はYouTubeにアップされていた映画の冒頭、アリアのシーン。

 

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コメント: 2
  • #1

    岡芹由紀子 (木曜日, 10 1月 2013 13:06)

    ひろこさん、四半世紀ぶりですね!

  • #2

    壷井浩子 (金曜日, 11 1月 2013 15:10)

    由起子さん、うれしいコメントありがとう!住んだのは短い間だったけど、アンジェの穏やかな空気と大学の楽しい雰囲気は忘れられません。そうか、パリにいてもみんながアンジェの空気を運んで来てくれていたのね〜。同窓会、やりましょう!今やっていることはあの時代に大いに影響されていると思うのです。ブリーズノートのコンサートも聴きにきてねっ^^♪